2012年1月30日 (月)

自分への還暦祝い

Sake  先日自宅近くの知り合いの酒屋さんから教えて頂いた濁り酒というかほとんどドブロクといえるものが素晴らしく美味しかった。まだ米粒が残っている液体の素朴で力強い旨さよ。1升ビンで買ったのだがこれを一人で飲んでは体に悪いのではないか思い、居合の知り合いにおすそ分けした。そしてそれを今になって悔やんでいるという馬鹿さ加減。悔やむ方がよほど身体に悪い。ああ~しまった…

 思えば寒さ厳しいこの季節こそが日本酒好きにとっては最高の季節であろう。肴は美味いし、ヌル燗よし、少し熱くしてもまたよし。最初に少しだけビールを頂くのもひんやりとしてお酒がより美味しくなる相乗効果と言える。小津安二郎の映画で笠智衆が居酒屋で飲んでいる姿を思い出しながら、あるいは太田和彦の名文を噛みしめながら頂く酒の素晴らしさ。

 今日は仕事帰りにほろ酔い程度の一杯を楽しんで、帰りに冒頭の酒屋さんの前を通ったらご主人が座っていたので立ち寄ってみた。「この間のお酒、絶品でしたよ。有難うございました。」とお礼の言葉を言ったら、ニッコリと笑ってうなづいてくれた。しばらくお酒談義。残念ながらもう完売してしまってもう一本どうしようかとほんの少し迷っていたのがスッキリした。また来春の楽しみである。

 去年までは仕事が終わって家で飲んでいたのが帰りに一杯というたまの楽しさが加わった。新地で高い酒を飲むわけではないし煙草は吸わないのだから、小遣いの範囲で賄えるささやかな贅沢である。適度な仕事とほろ酔い加減のいい時間そして気持ちのいい人たちとの時折の心の触れ合い…曲りなりにも還暦まで働いてきた自分へのほんの少しのお祝いと思うことにしよう。 

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2012年1月27日 (金)

稽古の前に考えたこと

Ryu5_2  昨夜は有志でのちょっと遅すぎる新年会。また沢山飲んでしまった。他人と話しながら飲むと私の場合はどうも飲みすぎてしまう。若き日の遠藤周作をホームステイさせたフランスの家庭の奥さんは会食においては話すのが礼儀なのですと言ってはばからなかった。口の重い私だったらきっと参ってしまっていたに違いない。

 昨夜は鍋だったのだが食べきれないほどの食材が出されて、案の定沢山の量の食べ物を残して散会した。これでいいのだろうか、本当にこんなことをしていいのだろうか。いい酒と食べ物を味わうことよりも会話に気を取られて味わうということが忘れられている。我々のためにその存在を提供してくれた者たちに対する頂きますという心が無い。

 茶道という道があるのなら酒道があってもいいのではないかと思うことがある。もっとも他人様にとやかく言うべきものではなく自分自身のためだけでいい。とにかくの基本は酒と食材への感謝の念であり、酒と食材を実感するということだと思う。会話のための酒と食材ではない。

 こう考えてくるとやはり自分は変人だなと思う。仕方あるまい。今夜もまた居合の稽古。言ってみれば稽古も酒と食材をより美味しく頂くための準備作業だと言ってしまったら、きっと即刻破門を言い渡されるはず。とりあえずおとなしく稽古である。

 

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2012年1月14日 (土)

花園にて

P1050585  息子の事務所の開設を祝って頂くお祝いの花が届く。最初のお花を届けて頂いたのは息子と同じぐらいの年齢のある会社の若き後継者の方だった。まことに立派な胡蝶蘭。有難いことである。そして本当に有難いことに結局写真のような事態となった。

 胡蝶蘭3つ。シンビジウム2つ。パキラ2つ。卓上用のお花3つ。不遜な言い方になるが冗談ではなくこれはどうなるのか花に埋もれて仕事ができなくなるのではないかと息子と二人顔を見合わせて少し心配になったあたりで沈静化した。

 その後はお菓子が2つ。お酒が1本。お酒はそのうちにかすめ取ろうかと思っている。私はどちらかというとあまり賑やかに話すタイプではないが、息子は妻に似たのか気配りにたけている。上記のお花の送り主もほとんどすべてが息子の関係の方であった。

 もっとも私とてユーモアの精神に欠けてばかりいるとは思わないのであるが、結果はかくのごとし。まあどうでもええわいという思い。それにしてもこの花の園どう見ても北新地の新装開店のごとき様相としか思えない。ならば5時からは酒場にでも…

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2012年1月 9日 (月)

私生児の話

Ryu3  昨年暮れに、私の所属する趣味の集まりの公式ホームページがサポート終了のため閲覧不能となった旨のメールが届いた。一昨年の夏頃一人の若い会員が依頼されて立ち上げ運営してきたものだった。無料のサービスだから利用にあたっては多分こういうことも事前に承諾したうえでのことだったのであろう。ただ残念でたまらないのは大多数の会員にまったく知られなかった、関心を持ってもらえなかったということであるが、今はただ管理運営に労をとって頂いた彼にご苦労さまでしたと申し上げて感謝の意を表しておきたい。

 一人の私生児と、その子を何とか育てようと力を合わせたごく限られた少数の人がいた。そしてそんな思いなどまったく知らぬ存ぜぬで通し、認知を迫られるとそんな子は私は知らないと拒否し自分たちの楽しみに明け暮れた人がいた。一目見てくださいと懇願してもあなた方のように無粋な趣味は持たないとでも言いたげな素振りをした。その子は寒さに震えながら暮の闇の中に一人寂しく消えて行った。そんな物語を見たように思う。

 いったい武道を「する」とは何なのか。何にもまして感じたのは結局このことである。そういえば先ごろはオリンピックの柔道の金メダリストが女性に対する暴行の容疑で逮捕されるということがあった。この男から「金メダリスト」という称号を取り除いたら、ただの無頼漢である。武道を通して内に育てるべき何かが決定的に欠けていたと言えると思う。本当にそういえばであるが、そのオリンピックの時に私は彼を題材にして「父の強さ」という記事を書いた記憶がある。今度彼は息子に向かってどう言うつもりなのであろう。

 つまり外的なものをいくら得ようが内に残るものを作れなければ武道とは言えないと私は独断する。試合に勝つとか段位を上げるとかいうことよりも、あるいは極論すれば「前」を完璧に抜くことよりも大切にしなければならないことがあるのではなかろうか。稽古の後の新年会で公式サイト消滅の話題は皆無であった。技術的なこととか昇段審査のこととかに話は弾んでいたようだが、私の心は冷え切っていた。

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2012年1月 5日 (木)

正月雑感

Ryu1_2  あれもしたい、これもしたいと思っている時が本当の意味で正月なのかなと今年はつくづく思った。「プラモデル」と書いた紙切れが机の隅に残っていたのはうすうす気づいていたが、三日の晩に丸めて捨てた。居合の知り合いから東映時代劇のビデオを六本借りていたので存分に楽しめると思っていたが、結局ほとんど見ることができなくてさっき仕事から帰って食事をした後でやっと三本目を見終わった。

 炬燵に入ってプラモデルを作るとか、ヌル燗を味わいながら昔の映画を見るだとかが還暦を前にした男のささやかな楽しみと言えば何となく恥ずかしいのだが本当のことなのだから仕方あるまい。結局今年は三日にそういう日を過ごそうと思うあまり、二日の日に仕事をしてしまったのが失敗だった。この歳になったら計算づくでその日を遣ってはいけないのかもしれない。

 そういえば少し話は違うかもしれないが、テレビニュースにデパートの福袋に群がる人たちの姿が映し出された。知らなかったのだが1万円の福袋に一万円の何倍もの商品が入っているのだそうである。ご丁寧なことに福袋を手に入れた人たちの喜びの声までがついていた。しかしあれは福袋というよりもやっぱり欲袋ではないかと思った。

 でもまあそういう私も十日になればどこかの戎さんにお参りに行き、商売繁盛を祈るのだから似たようなものではある。それにしても今の商売を始めてからほとんど欠かさずに行っているのに、ご利益などあったためしはないと思う。いや、そういう罰当たりな考えだからこそ、いつまでたっても運がまわってこないのか。運は回ってこないけど歳だけは回って目出度く還暦である。

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2011年12月30日 (金)

年の瀬に

Cimg08732  先日大阪天満宮にほど近い新築のビルの五階に息子が事務所を開き、私もそこに常駐することになった。私の60代はここでスタートすることになったわけである。吹田の自宅の事務所にしていた部屋は冬でも午前中のしばらくの時間はあたたかい陽がさしこむ。新大阪から転居して以来のんびりとした時間を過ごしてきた環境からまたビジネスの前線に立ち戻ったような気がする。御殿場のウサギが日本橋に出てきたという表現がどこかにあった気がするが今のところそんな感じである。

 その事務所への移転を間近に控えた日、仕事上のメールで久しぶりに息子とひと悶着。「一言謝れ」などと言うものだから私も「何だと!謝るのはお前の方だ」と。やり取りののちに「明日でいいという一言を付け加えるべきだったかもしれない」という私の漏らした言葉を言質として一件落着となった。事務所移転の前夜「明日は何時からだった?」とメールを送ると、「9時集合です。有難うございますcoldsweats02」と返信が来た。かくのごとくの波乱の幕開けである。

 父と息子が一つの事務所で一緒に仕事をするというのは少なくとも私たち親子にとっては他人が思うほど楽なことではないのだと思う。私の場合は父が家具職人だったし、そもそも今の息子の歳の頃には父は他界していたから仕事上のことで意見が対立するなどということもなかった。仕事上の父からのアドバイスもないかわり束縛もなかった。

 息子の場合は幸か不幸か似たような方向に進んでしまった。親として残してやれるものは何もない。ならばできる限りの助力をするのが親としての務めだろう。これも幸か不幸かわからないし、親バカな見方と言われるかもしれないが仕事上の能力においては既に息子が上だと観念している。唯一案ずるのはこれまで接してきた仕事上の人たちとの関係は世の中のごく一部に過ぎないということへの身体全体での理解であるが、それはきっと自然と身につけて行ってくれるべきものだろうと思うこととして新年を迎えたいと思う。

写真:息子の出した年賀状に「看板娘」とありましたから掲載可と判断。「燗番娘」のほうが…

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2011年12月 2日 (金)

懐かしい味

Yakko  梅田のJRガード下に新梅田食道街という飲み屋街がある。以前は足しげく通った時期があった。昨日仕事のついでに(ついでに仕事ともいう)そのうちの「奴」という店の前を通ると信じられないくらい空いていた。人気店でダークダックス状態が常の店である。へえ~っと思ったが、これ幸いと久しぶりに入ってみた。後で考えるとかなり早い時間帯だったcoldsweats01

 この店の売りは新鮮な刺身が三百円程度で食べられることである。この日はビールと平目の刺身と富山の地酒と湯豆腐で千百五十円だった。平目の刺身は立派なものである。その辺のチェーン店で食べたら倍はする。その代わりと言っては失礼かもしれないが、店内はお世辞にも綺麗とは言い難い。つまり余計なところには一切お金はかけず味と値段で勝負ということである。そんな店が梅田にはけっこうある。

 私は戸籍の上では六男である。すぐ上の兄とも十六の歳の差があった。その兄が私をよく梅田の立ち飲みの店に連れて行ってくれた。たとえば地下街にある赤垣屋という店で、今もその屋号は残っているが様変わりしていて記憶にはそぐわない。たしかその店で生まれて初めて「てっさ」を食べた。「旨いか」と笑いながら兄が言ったが、「?」という顔をして答えたと記憶している。

 「奴」で飲んでいると、そんな兄との酒を思い出していた。十二月の梅田の街の立ち飲みで飲む酒は懐かしい味がする。兄が亡くなって七年になる。

写真:奴

用語説明:「ダークダックス」→立ち飲みの店は客をどんどん入れます。普通、人はカウンターに対して平行に立ちますが、混んでくるとその角度がカウンターに対して90度に近づいていきます。一人抜けるとその角度が元に少し戻りますが、また新しく入るため元の角度へ。これを繰り返すさまがダークダックスの歌うスタイルに似ているためいつしかそう言われるようになりました。

 

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2011年11月29日 (火)

九州場所が終わって

Kisenosato  大相撲九州場所は白鵬の優勝、稀勢の里の大関昇進の決定で終わった。テレビ中継を見ながらお酒を楽しむという私の悪癖も来年まではお預けである。そんな場所中継を見ていて気になるというか嫌だなと思うことが2つあった。

 テレビ画面には東西の関取が映し出されるのだがその向こう、正面なのか向こう正面なのかはっきり知らないが、金ぴか帽子をかぶった爺さんが金ぴか扇子を振りかざして15日間見ている。それは勝手なのだが、相撲を観もしないで隣り合った客に喋り続ける様子が目についた。迷惑だし、失礼である。

 もう一つはある大関の仕切り。仕切りとは相手を意識していつ攻めて来られてもいいように行うのが相撲だと思うし、武道の基本中の基本だと思う。それがこの大関仕切り線に良拳をつけるや腕立て伏せを行うのである。

 塩を取りに行く時の画像の奥にはきれいな女性が和服姿でこれも15日間きちんと姿勢も崩さずに座っていた。当然何らかの相撲との縁があるのだろうが、金ぴか爺さん、腕立て伏せ大関と比べると勝負ありという気はした。

写真:稀勢の里さん

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2011年11月26日 (土)

休みの朝のいい時間

Takahashi_2  前夜居合から帰って入浴後缶ビール1缶神亀一杯。すでに外は明るくなっているのに、二時ごろに寝たためかまだうとうとしていた。何時頃だろうと枕元のラジオをつけたがよくわからない。消そうとしたら「ラジオ文芸館」というアナウンスがあった。どこかで目にしたような作家の名前と知らないタイトル。でもこういうのは意外と好きなのでそのまま聴いてみた。

 主人公はどうやら昔住んでいた街に何十年ぶりかで来たらしい。昔の記憶を辿りながらの回想。なっちゃんという同級生の女の子のことを中心に話は進んでいく。「あんたなんか大嫌い」と言われた小学生の頃の記憶。街を歩くうちに突然現れた寿司屋さん。なっちゃんとよく行った店だ。そこで「私をもらってよ」となっちゃんから言われたこと。そして寿司屋の大将から、なっちゃんはその後ご主人を亡くされて一人ブティックをやっていて…そんな話。

 あっという間の放送に思えた。後で番組表を見ると40分の番組だった。他の短編も放送していたのかもしれない。それにしてもと思ったのは一人の女性アナウンサーの言葉と音楽でのみ構成された世界がつくりだす豊さであった。あれほどにつまらない程度の低い番組を垂れ流し続けているテレビに比して珠玉の輝きではないだろうか。良質のものは探せばある。つまらないものが見えにくくしている。

 主人公は帰途に最近行く寿司屋さんからなっちゃんに電話してみるつもりだった。先ほどの寿司屋さんの大将が「ここだよ」と自分に来ていた年賀状を渡してくれていたのだ。しかし思い直した。たしかその理由を言って朗読は終わったのだが、凡人の私にはどっち道分かりはしなかっただろう。休みの朝の微睡の中、いい時間を持てた余韻が心地いい。

写真:今朝放送されたのは再放送で「町の地図」という作品。作者は高橋治さん。有名な「風の盆恋歌」は高橋治さんの作品だと今知りました。読んでみたくなりました。

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2011年11月15日 (火)

追悼 北杜夫さん

Kitamorio  大学受験を間近に控えたちょうど今頃の季節、寒々とした心細い気持ちを癒してくれたのが北杜夫さんの「どくとるまんぼう青春記」だったと思い返す。昭和43年9月14版とあるから高校1年生のときに買ったのだと思う。受験勉強に疲れると、裸電球のわびしい灯りの元で暗い顔をしてこの本に逃げ込んでいく自分の姿が思い出される。雪の残るアルプスを遠景にしたカバー写真は折り返し部分で表と裏の二つに破れてしまっている。40年余りの時が過ぎたのである。

 弊衣破帽という言葉があったがその言葉をまさに絵にかいたような著者の松本高校時代の写真が表紙の裏に掲載されている。自然のままの髪の色が珍しい現代日本ではまずお目にかかることはできないだろうと思われる風貌である。その写真は多分どこかの街の写真館で撮影された様に見えるから当時の旧制高校生の自己表現のひとつだったのだろうが、何時の時代も若者はそんなものなのだろう。

 本来旧制高校とは現代の一流大学に相当する存在だったのだろうから今の高校と同一視すべきではないのだけれど、私は完全に勘違いして気持ちだけはこの本の世界に入り込んでしまって、気がついたときには冒頭の時期を迎え一夜漬けでの受験でお茶を濁してしまったわけである。思い出してもぞっとする。実は今でも数か月で数学をゼロから受験レベルにまで持ってゆかねばならないという状況にいる夢をよく見る。

 少なくとも高校二年は完全に近いほど勉強からは遠ざかったような気がする。数学なんか零点に近い点数を取ったこともあったのではないか。構内順位も急降下、完全なる落ちこぼれと教師からはみなされていた。しかしそれはそれで自分にとっては必要なことだったと今では思う。学校の成績だとかどこの学校を出ただとかは余分なことの一つに過ぎないのだから。

 こんな意識のまま大学に進学してしまったものだから、勉強はしないし柔道は鎖骨を折られて半年でやめたし剣道は二段どまりで稽古がしんどくて終わり頃にはさぼった。就職も一夜漬けというか嘘八百並べて何とか潜り込んでしまった。だからというのではないがすべてを清算して本当の自分に戻った。どうやら帳尻は合わせたようにも見えるが所詮はやはり凡人の人生かなと思う。

 Kitamorio2 先日お亡くなりになった北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春記」を思い出しながら書こうと思っていたら、自分のことになってしまった。ある意味ではそれほどに自分の高校時代に影響のあった方だなと思う。この本の書き出しに「青春とは、明るい、華やかな、生気に満ちたものであろうか。それとも、もっとうらぶれて、陰鬱な、抑圧されたものであろうか。」とある。現代における青春像は前者だし、弊衣破帽などという美意識は死語であろう。しかし著者が書き残してくれた一つの青春像が私の青春を支えてくれたことは確かだと思う。感謝してご冥福をお祈りする。

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2011年11月 9日 (水)

酒悪論者諸兄に

Nomiya  無知ほど怖いものはなく、世間知らずほど怖いものもない。本物の酒乱かつ大酒者を知ってか知らずか、一部の人は私を酒飲みと言い、少しは健康に注意したらどうだと真剣に言う。確かに私は人並み外れて飲むと言えばそうかもしれない。しかしそれらの忠告のどれもが科学的な根拠に著しく欠けていると思う。それはつまり酒は身体に悪い、その一点のみである。酒は人が口にするもののうちの一部である。酒さえ飲まなければ健康でいられるのでしょうか。

 たしかに私は沢山の酒を飲むが、毎日の酒量は欠かさず手帳に記しているし、飲んでいる最中でも今何合飲んだという意識はなくしたことは無い。あるいは毎年の定期健康診断、年に一度の腹部エコー、胃カメラ、数回の血液検査。そして何か気になることがあれば普通の人以上にこまめにかかりつけ医の元にはせ参じる。これは馬鹿げたことのように思う方がいるかもしれないが、最後の一線にはなっているのである。

 そして極力一人で飲む。話しながら飲むと私のように酒に強い人間は底なしに呑んでしまう。そういう意識をことさらに話すわけでもないからかもしれないが、人は知らない。酒だけが健康に悪いものではない。健康とは総合的な結果であると思う。酒は飲まないが不健康極まりない生活を送る人はいくらでもいるし、いろんなそのタイプはある。

 あるいは健康で長く飲めるようにと運動だけは欠かさない。血行だけは良くしておきたいと思うからである。食生活において酒を飲んでいないというだけで何が誇れるのだろうか。健康とはすべての結果である。ろくな運動はせず、どこへ出かけるのも車で出かけたがり、必要なカロリーも取らずに子供のおやつのような食生活を送って痩せることばかりに夢中になっているようなことが大の大人のすべきことなのか。それで病気になって酒ばかり飲んでいる人間を笑えるのだろうか。

 何かいい加減にしろと言いたくなって書きなぐってしまった。非科学的な酒悪説は結構だが、俺は俺で考えながら努力しながら飲んでいる。忠告して頂けるのなら拝聴もしようが、何も考えずに調べもせずに酒だけが悪いなどとは言ってほしくないし、自分の健康に対する意識と行動を検証した上にして頂きたい。

 

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2011年11月 8日 (火)

何かおかしい日

Rafurase  三杯目でやめようかどうしようかと悩んでいると、店のおねえさんと目があった。にこっと笑ってくれている。

 「すいません。御代わりお願いしますcoldsweats01

 斜め前の若い男女二人連れを眺めていると、女性の方が私を見ているのに気付いた。

 しばらく見つめ合っていたことになる。

 にこっとしてくれたので、あわてて会釈したcoldsweats01

 近くに座っていた爺さんがブリ大根の味が薄いと、店の御姐さんに文句。その御姐さんが私のところに来て「ブリ大根、お味薄いですか?」と聞く。「いいえ、これでいいと思いますよ」。

 何となくいつもとちょっと違う日だなと思った。お勘定はやっぱりいつもの金額に最後の一杯が乗っかった感覚だった。

 千里山の駅を降りるとラフレーズの店が見えた。ケーキを四個も買ってしまった。cakecakecakecake

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2011年11月 5日 (土)

後悔そして悲しさ

Sakamichi  月に一度ぐらい近くのお医者さんに行き血圧と尿酸の薬をもらって帰ってくる。昨日は一度9時ごろにその医院に行ったのだが、待合室は一杯で出直すことにした。ひと仕事して10時半ごろに行ってもあまり変わりなし。仕方なく外に出てボオーッとしながら秋の空を眺めていた。

 私よりは大分年配の女性が近づいてきて千里山の駅はどう行ったらいいのでしょうかとお聞きになる。少しやり取りをするうちに千里山の近くに引っ越してきて一人暮らしをしていて、そして…帰り道が分からないという。順番待ちをしていることを頭において、あれこれと考えを巡らせた。

 タクシーにお乗りになればと言うと「かえって知らないところに連れていかれては…」。近くの交番にお連れすべきかとも思ったが行って帰ってくる時間を考えるととも思った。結局のところその医院のペンと紙を拝借して地図を書き説明した。そして「また途中で聞きながらお帰りください」と申し上げた。

 とぼとぼと坂道を歩いて行かれる姿に少しずつ後悔の気持ちが起こってきた。たとえ1時間以上かかったとしてもお連れすべきではなかったのか。自分の母が警察に保護されたことが一度あったのを思い出していた。待合室で座っていながら、どうかするとその人を思い出した。結局診察して頂いて近くの薬局で薬をもらい帰宅したのは1時間以上後のことだった。

 ああ私はやっぱり凡人だなと思う。あるいは冷たい人間なのだなと悲しく思う。それとともに人は多かれ少なかれその女性のようなものだとも思う。どうして自分はこの世界にこうして一人放り出されているのかと。しばらくは心細そうだった表情が頭から離れないだろうと思う。

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2011年10月30日 (日)

公認酒場

Hatsukasumi  先日の初かすみ酒房。対面でゆっくりと飲んでおられる年配の男性二人。多分八十歳近辺の方たちだろうとお見受けした。静かに何か話しながらの落ち着いた酒である。あのお歳で元気で飲む。そしてたまに同年輩の友人と飲む。もはや何の気負いもない。ただ今を楽しむ。お二人で6千円弱のお勘定だったのにはこれまた驚いた。この店でそれだけ飲み食いできる元気さ。

 うらやましいなあと思った。この店は基本的に一人か二人でくる店である。だから騒々しい店ではない。店員の女性たちはみなさん明るいが必要以上の客への干渉はしない。お酒とはそれでいいはずである。極論すればしーんとしても構わないし、むしろそれが好みの客も本当はいる。

 昨今は静寂が暗いという短絡の回路の人種が多すぎるのにすぎない。学生の頃のサントリーバーなどはしんみりとした会話にホステスさんがたまに的確な一言をはさんでくれたものである。そのうちにカラオケが入り進化して酒場は無くなってしまった。ホステスさんの力量も不要となり質が落ちるのは当然であろう。

 初かすみ酒房は①いい地酒を好きな酒温で飲ませてくれる②客に必要以上の干渉はしないが必要な気配りはできる。その必要十分条件が揃っている稀有の酒場だと思う。そんな酒場にはどうしても入りびたりに近くなる。すると店員の女性たちとは顔なじみになる。妻も二度連れて行った。これで公認の酒場となった。

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2011年10月25日 (火)

騒音に思う

Chikatetsu  週のうち何回かは朝の8時に市のごみ収集車が回ってきてくれる。それはいいのだが車は走りながら「違法駐車をやめましょう。危険だしゴミの収集ができません」と大きな音量で報知しながら進む。似たようなものに日曜日の午前中だとかに回っている古新聞等の回収車の「限られた資源の有効活用に云々」。似たり寄ったりだなと思う。

 これらは大分前にテレビでネタにされた騒音おばさんとどれほどの相違があるのだろうかと私は思ってしまう。以前に一度書いたことだが大阪市営地下鉄の車内放送などはほとんど走っている間中お喋りしているようなものである。次はどこだ、いつもご乗車有難う、次の駅ではどっちのドアが開く、終わったと思ったら何とか饅頭の何やらという店は次で降りろ、おまけに外国語での案内があって、やっと終わりかと思ったら次の駅である。文章を読んでただの一行が頭を通り過ぎていくだけで後で気づくと何が書いてあったのか何も残っていない。私にとって読書妨害以外の何物でもない。要するに聞きたくないという個人の自由に対する意識が無い。

 テープでの放送が終わったら、いかにも面倒くさそうな声で「所有者不明の手荷物があったら、触らずに駅員に連絡せよ」という大阪市営地下鉄の車内放送はサリン事件を意識しているのだろうか。それにしてもどこかで感覚が狂ってしまっているという気がしてならない。真に求められるべき市民としての意識の欠如と、自由と権利という言葉に対する誤解、加えてそれらに対する脅え。その結果かなと思う。

 「日本語の年輪」、平蔵さんから教えてもらった「日本辺境論」等々を読むうちに、現代というものが1945年夏を境にその影響を引きずっているように思えるのは真の敗戦ということだけではなく、もっと奥深い「日本人」というもののDNAに因を有しているのかもしれないと思い始めている。

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2011年10月19日 (水)

久しぶりに良寛を思う

Ryokan  肌寒くなってくると良寛を思い出して、「風の良寛」をひも解く。厳冬の地に立つ五合庵には何もなかった。「粥を啜って寒夜を消し」乞食して得た恵みの米が乏しくなると粥にして腹の足しにする。それでは足りぬがそれしか無い。「埋み火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ」そんな夜は寒くてたまらないから「埋み火」の近くまで足を寄せて眠ろうとするけれど空腹は寒さまでも呼び込んでしまう。

 どうしてこれほどまでの過酷な生を生き切ることができたのか。中野孝次は、良寛が道元の教えを守ることこそが悟道への唯一の道であると信じていたからだと書いているように思う。「貧なるが道に親きなり」貧乏でなければ道は悟れないと。つまり現生の価値一切を棄てきったところにある「充実」を求めたということであろう。

 この世とは自分の心ひとつである。与えられた環境への違和感を自分の心に映してみる。そこで悩んでみる。そこに生きている実感というものが感じられるように思う。良寛のように強い人ならば棄てきるということができるのかもしれないが、凡人は中途半端だから余計に悩む。折り合いもつかぬ。他人とも自分とも。

 この本と出会って10年が経つが所詮凡人には目指すだけ無駄な境地だと思う。ではどうするのだと問いかける自分に向かい返す言葉が無い。気がつけば存在していたという土台理解不能な自分というモノ、「空中にしばらく我有り 縁にしたがいてまさに従容」と悟れる良寛を羨みながら、今夜も凡人としては少し酒とともに有る。

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2011年10月18日 (火)

酒は静かに飲むべかりけり

Hana 「白玉の歯にしみとおる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」若山牧水。

 季節到来。シンカメの在庫が切れかけていてあわててネットで注文した。前回の発注が8月18日だったから2か月もったわけだが、暑かったからビールに流れただけ。これからは格好の季節だからそううまくは行くまい。12月まではもたないだろう。

 昨日小津安二郎の「東京暮色」(昭和32年)をビデオで観た。原節子、有馬稲子、笠智衆。昔の女優さんは「本当に」綺麗だったなと思う。ところで川本三郎さんがある本の中で紹介していた場面が冒頭に出てきた。笠智衆がなじみの小料理屋さんに入り、おかみの浦辺粂子の「お寒くなりましたね」という言葉に「ちょっと熱くしてもらおうか」と返す場面である。酒飲みの私としてはたまらない。

 昭和30年代は懐かしい時代である。当時近くに住む伯父が私の家に来て飲んでゆくことがあったが、父はあまり好ましくは思っていなかった。母方の地に住み、売れるかどうかは気にもせず一人家具を作っては余生を静かに過ごしていた。父の生まれた土地は姫路の近くだが、終生帰らなかったのではないか。そんな父の楽しみは酒だったはずだが、胃が弱かったせいもあり、私の生まれた頃に医者から酒を慎みなさいと言われた。私のために元気でいなければと黒ビール350CC一瓶で通してくれたわけである。

 近年の傾向として酒は楽しく賑やかに飲まねばならないという風潮があるが、私は好きではない。「東京暮色」のその場面もふた言み言の言葉は交わされるが、それはお酒を味わうための言葉のように私には思える。嬉しいことであれ、悲しいことであれ人はそれぞれの思いを抱きながら酒とともにそのときを感じるのではないか。つまり他者をそして自分を尊重して人は酒に親しむべきではないかと思う。それにしてもシンカメはあと3合ぐらいしか…

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2011年10月11日 (火)

災難は安心した時にやってくる

P1050531  今年は大阪大会の予選が終われば年内の予定はないということで真面目な凡人としては一応頑張って稽古をした。前日の金曜日にも稽古に早めに行って師匠にマンツーマンで指導して頂いたのだが、自分でも感じられるほどに力任せにぶんぶん振り回していただけのみっともない居合に終わってしまった。しかも相手はS風会の上手な若手の方。敵う訳がなくあっけなく沈没。ということで今年は審査不合格、試合いいとこ無の散々な結果。まあこんなもん。

 午後からは私用で抜けさせて頂いて家事をこなし、日曜日をフリーにさせて頂いた。前月にも直前まで行こうと思いつつ行けなかった「鞍馬・静原・大原」の山歩きを明日こそは気楽に歩いてこようと思った。

 刀を振り回し続けた木曜日から金曜日のツケが身体に来ている、そんな目覚めだったが行けば楽しいはずだと6時過ぎに起床すると、オムスビとだし巻き卵とウインナーの炒めたので凡人弁当の完成。妻に一応果物の用意を頼んだ。

 緑地公園駅から電車を乗り継ぎ京阪電車の淀屋橋駅のホームに立つ。一番後ろの座席でのんびりと座って、先日購入した川本三郎の「銀幕の東京」(中公新書)を楽しみながら、と思いをめぐらすのは至福の時とも思えて、私の心は秋晴れであった。

 そんな感じでぼおっ~とホームを見ていてフト目を上げると、どっかで見たような気がする人がいる。「アッ」。「エッ」。これが何十年ぶりにでも会った初恋の人ででもあればその日はまさに至福の時だったのかもしれないが…いたのは居合の師匠が引き連れた大文字山登山御一行様であった。

 予期せぬ出来事とはこのことであろうか。某氏から少し前の時間に京橋あたりから乗り込んで大文字に登るという情報を得ていたので安心しきっていたのが油断であった。何ということかとあわてても時すでに遅し。かくして今回も「鞍馬・静原・大原」の山歩きは叶うことはなかったのである。

写真;大文字山の火床からの眺望 

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2011年10月 3日 (月)

87 と 78

Metabo 87と書いたら、平蔵さんから78だと返ってきた。

裏ブログでのやり取り。

最初は羨望の目で見て、そのご努力に敬意を

と思ったが、よくよく次の行を読み返すとすべてが分かった。

このへんの数値というのはいろいろある

血圧、ゴルフのスコア、腹囲、体重

個人情報のため詳細は省略させて頂きますが、

皆様文章は正確にbleah

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2011年10月 2日 (日)

「日本語の年輪」など

Nihongo  何気なく買ってみた「日本語の年輪」(新潮文庫:大野晋)は私には難しい本だった。投げ出しそうになりながらも何とか最後までページを辿って行ったのだがやはり難しかった。しかし現在私たちが何とも思わずに使っている日本語が出来上がってきた道のりがおぼろげにも感じられたことは有難いことだったと思う。

 とくに後半の「日本語の歴史」では、初めての文字、漢字の入来、片仮名、平仮名の成立、漢字の与えた様々な面での影響など興味深いことを知ることができた。いずれにしても永いときの流れの中、自分の思いを表現したい、いや自分自身の中でしっかりと整理したい、そんな欲求が困難を乗り越えて作り上げた私たちの言葉である。

 触発されたわけではないが、井上ひさしさんの「日本語教室」(新潮新書)が目に留まり買って見た。なるほどと思うこと、同感だと思うこと、へえそうだったんですかというようなことがたくさん書かれていた。井上さんの娘さんが髪を染めたことに怒ったことのあたりの「日本人は優れたものは他にあるという精神構造」という記述に考えさせられた。英会話教室が繁盛するのも根は同じなのだということなのかもしれない。

 つまり日本語自体が仮名を生み出しながらも漢語に依存して発展してきたというところに否定しがたい他者肯定の精神構造が定着しているのかもしれない。テレビ(恥ずかしながらまだ見ざるを得ません)のCMでわざわざ外人が英語でしゃべるものの何と多いことか、あるいは私のお客さんの会社の名称の半数は片仮名である。

 まあそんなことは今に始まったことではなく、明日無くなるというものでもない。大切なことは先人が欲しくてたまらなかった「日本語」という素晴らしい遺産を自分の人生に生かすことなのだと思う。読むにせよ、書くにせよ感謝しつつ、真摯であれ、私よ。

 

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